感謝

 9月17日(日)午後4時頃、父が逝去しました。享年92歳でした。
 お世話になった方々に対し、故人に代わりまして、厚く御礼申し上げます。

 父は8月6日(日)の誕生日の翌日、7日(月)に高熱を出し、私としてはやや不本意ではありましたが救急搬送により新潟済生会病院に入院しました。不本意というのは、父をなるべく最後まで自宅に置いておきたい、最期の看取りは自宅で行いたいという思いからでした。それはもちろん、元気なころからの父の願いでもありました。
 しかし、酷暑の真夏に高熱を出して苦しんでいる姿を見て、さすがにそのまま自宅に置いておくのは、見殺しに近いと思いました。実は高熱を出す以前から、やや熱中症気味なのか食欲がなくなっていました。8月2日に月一で通っている安田診療所の体重測定では、その時点で前月より5キロ減の44キロでした。
 救急搬送後の検査で、新型コロナの陽性反応が出ました。肺炎も起こしていました。高熱はこれらが原因でした。ちょうどこの頃は県内でも新型コロナ感染が急拡大していて、入院翌日から面会制限がかかるとのことでした。つまり面会禁止です。
 入院後も食欲は戻らず、主治医や看護師からは「困っている」という報告を何度も受けました。しかし約3週間の入院で、コロナは陰性になり、肺炎も落ち着いてきました。そこで自宅に帰ることを目的に、8月25日(金)、あがの市民病院のリハビリ病棟に転院します。
 転院時に「リハビリ頑張れよ」と声をかけると、父は一言「うち(家)に連れて行けや」とつぶやきました。この言葉は胸に刺さりました。でもこの時点では、また以前のように自力歩行ができて、食事もトイレも自分でできるまで回復するのでは、との期待がありました。
「しっかり食べてリハビリ頑張れば、また帰れるよ」と、声を掛けました。

 幸いあがの市民病院では、登録した2名だけなら予約のうえ、面会が許されました。私のほか、平日にある程度自由が利く姉を登録しました。
 9月6日(水)に初めての面会。病棟のホールに車椅子で現れた父は、予想以上に元気で、しっかり会話もできました。「誰も面会に来ない」と不満を漏らすので、面会制限の説明をすると「面倒くさいんだな」と言いながら理解してくれました。
 高齢者が入院によって認知症が急に進むことがあると聞いていましたが、父は入院前と変わらぬ印象でした。安心する反面、父の「家に帰りたい」という強い意志も感じて心が痛みました。

 5日後の8月11日(月)に姉が「予約が取れたので、面会してくる」と連絡があった直後、病院から電話がありました。「食事はほとんど食べていませんでしたが、水も飲めなくなってきたので、今朝から点滴のみになりました。ついては、午後4時に主治医から説明があります」とのこと。午後2時からの姉の面会はできるようでしたが、姉に4時にも行ける?と連絡したら、OKと返事がきました。
 担当看護士が、私の従妹の娘と知ったのはこのときでした。親戚といっても、あまり私は頻繁な付き合いはなかったのですが、父を「おじさん」って呼びかけてくれる様子は、頼もしく感じました。

 主治医からは、はっきりは言わないものの、(ああ、もう長くないな)と理解するには十分の説明でした。その後、面会用の部屋でベッドに寝たままの父に会いました。5日前はあんなに普通に会話できていたのに、もう言葉を発せられない状態でした。でも意思表示は頷きと手振りで出来ていました。帰りたいか?の問いかけには、強く頷きました。

 このまま入院していても、2週間もつかどうかと考えた末、退院させるのは今だと判断しました。病院の先生方には、とりあえず今日は帰って家族とも相談しますが、基本的に最後は家で看取りたいと伝えました。
 夜、妻に父の状態をえると、すぐに退院について同意してくれました。そのほうがいいね、と。少し認知症が進んできた母にも説明しましたが、反対はしませんでした。
 翌日、ケアマネさんと病院にそのことを告げ、一日も早い退院を目指しました。東京にいる3人の孫たちが間に合うようにと。

 退院して自宅療養なら、痰吸入の器具をレンタルし、病院で講習も受けてくださいというので、14日(木)に本人と実際に練習しました。
 でもその前に、朝一番に病院から電話。「今朝から酸素吸入が必要になりました。こんな状態でも退院させますか?」と。そうは言われても、もう子供たちにも帰ってくるよう伝えたし、いまさら引き返せません。家でも酸素吸入できるよう、機械のレンタルをお願いしました。そのほか、ベッドもエアマットの電動のものをレンタルしました。
 さて、痰吸入の講習です。
「吸引が嫌なようで、2、3人がかりで押さえつけてやるんです。息子さんならおとなしくしてくれるかしら」と看護師さんが言います。
 機械の痰吸入は想像以上に苦しいらしく、私がやろうとしても、ものすごい力で抵抗されました。言葉にならない声を振り絞ってイヤイヤをします。とりあえず、使い方だけを学習して講習は終了です。いよいよ退院は明日。

 15日(金)午前中に退院です。姉と、従弟の順ちゃんも来てくれました。大がかりな退院なので力持ちの従弟は頼もしい限り。車椅子で現れた父に、「家に帰るぞ」と言ったら、OKマークを作って手を振ってくれました。見送ってくれた看護師さんたちも心なしか嬉しそうな様子です。これは前述した親戚の看護師さんから後で聞いて知ったのですが、リハビリ中から「家に帰りたい」と訴え続けていた父が、念願かない退院できたこと、私たち家族が受け入れてくれたことに、皆さん本当に喜んでくれていたのだとか。ありがたいですね。

 午後から親戚の人たちが次々と会いに来てくれました。東京の叔母さんも高齢で少し不自由な身体にもかかわらず一泊二日の予定で会いに来てくれました。
 安田診療所の斎藤先生も、夕方往診に来てくれました。自宅で看取ったときに、警察騒ぎにならないよう、事前にお願いしておきました。通常、自宅で誰か死亡すると、事件性があるかも含めて警察の事情聴取があります。救急車を先に呼んでいたとしても、その場で死亡が確認されると救急搬送はせずに警察に連絡がいくようになっています。それだけは避けたいと常々思っていました。
 斎藤先生の説明とアドバイスをいただき、家で看取ることの心の準備が整いました。

 さて、私の子供たちの予定は、昨年結婚したばかりの長女夫婦と長男が、16日(土)に帰省。次女は用事あるらしく18日(月)夜の予定です。(次女が帰ってくるまで、じいちゃん頑張ってくれよ)と祈ります。
 ところが、長女の連絡で様子を知った次女が、急遽、土曜の夜に帰省してきました。どうやら友人と旅行に行く予定だったようですが、「キャンセル料は後で払うから」と告げて、電車から飛び降りるように下車。そのまま帰省してくれたようです。感謝。

 16日(土)~17日(日)にかけて、大勢駆けつけてくれました。姪っ子の子供たちも来てくれたし、父方・母方の親戚の人たちが一堂に会してそれは大変な賑わいでした。
 父もにぎやかなのが大好きだったので、きっと嬉しかったことでしょう。
 相変わらず、意思表示は顔による頷きとイヤイヤ、手振りでのOKやダメなどでしたが、明確に意思は確認できました。おむつ交換のときに少し手間取り、「病院みたいに上手にできずに悪いな」と言ったら、手を横に振ってくれました(そんなことはないよ)と言っていると感じました。
 今は社会人4年目の次女が、小学生のころから父に冗談半分で言っていたのが、「おじいちゃんは140歳まで生きられるから」ということ。元気はころは本当にくだらない(笑)冗談でしたが……。
 見舞客がいったん帰って家族だけになった日曜の午後、次女が父の手を握りながら話しかけます。
「おじいちゃん、140歳まで生きるんだよ。頑張って!」と励ましたら、即座に首を横に振ってイヤイヤをしました。不謹慎ではありますが、これには全員、爆笑でした。私も「さすがにここからあと50年は無理だろう」と(笑)
 おそらくそんなことを言っていたのは午後3時頃だったと思います。その後、ちょっと買い出しに妻と行こうということになり、車に乗り込もうとしたときです。長女からLINEで連絡有り。「おじいちゃん様子がおかしいから戻ってきて」
 急いで駆けつけると、今まで静かに寝ていた父が、足を曲げたり横に動かしたりと少し苦しそうです。額を触ったら発熱している様子。(苦しがっているのは、このせいか?)
 アイスノンで頭を冷やしながら様子を見ます。妻が冷えピタ買ってこようか? と言うので、頼みました。このとき、私の代わりに長男を連れて行ったのですが、後日、妻はこのことを悔やんでいました。
 苦しそうなのが発熱のせいだけなのかどうか、疑問を感じながら、長女、次女と見守っていると、父の目が突然開きました。でも焦点が合っていません。ここでようやく気付きました。
 お昼過ぎに帰ったばかりの姉と、妻に連絡しました。やがて、娘たちが手を握りながらエールを送り続ける中、父の目が静かに閉じられていきました。
 この瞬間には立ち会えなかった姉、妻、長男には少し申し訳なかったと思いますが、みんな精一杯の親孝行とじいちゃん孝行ができたので、まあまあ、それでも良かったんだろうと納得しています。

 そこからは怒涛の如く、葬式準備~通夜祭~神葬祭と慌ただしく時間が過ぎていきます。なお、我が家は神道ですので、代々、安田八幡宮より斎主様をお願いしております。
 十分準備はしていたはずでしたが、連絡が行き届かなかったり不備があったりして、悲しみに浸る間もなくドタバタのなか、どうにか葬儀を終えることができました。
 あらためまして、生前のご厚情に感謝申し上げます。

 なお、私が自宅で整体院を開業している関係上、来院された患者さんたちも、父が車庫内でエアロバイクで運動していたり、散歩していたりする姿を目にされていたようで、葬儀後も温かいお言葉をかけていただきました。ありがとうございました。
 公務員を早期退職して開業したことで、少なからず父に心配をかけておりました。今後はさらに精進して、父を安心させたいと思います。
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。